端的に言えば、右翼と左翼の哲学論争なんだけど、行動の基準が哲学なのよ。 だから、日本人的エートスの最も深く豊かなものと天皇制は不可分である、と。 テーマは知性、他者、自然、天皇、共産党、自民党、解放区、日本人等々。
3すると三島は、自身の天皇陛下についてのエピソードについて触れました。
東大全共闘の芥正彦は「言葉が力があった時代の最後だとは思っている」、瀬戸内寂聴は「あんな目、見た事ない」と述べていた。
11この映画が宣伝で謳っているような「伝説の大討論」でも「言葉と言葉の殴り合い」でもない。
それに尽きる、三島や東大生の熱情だけは、確かな生きた証である。
そして学生運動をリードしてきた全共闘も敗北。 そんな危険きわまりない若者たちが、「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」と盛り上がり、異様なテンションが充満している敵地に、三島は警察が申し出た警護も断り、その身一つで乗り込んで行った。 ナビゲーターを東出昌大が担当。
12人間の挫折や悩みがとても鮮烈に描かれていて、読み始めてから今までに何度か読んで、感じ方も変わりました。
その前年、1969年の5月に三島は東大の駒場キャンパスの900番教室で単身東大全共闘との「討論」に臨んだ。 「あなたの個人的な天皇への原体験を普遍化しようとすることは間違っている」と。
28まばゆい輝きと圧倒的な熱量を放つ三島の言葉が学生たちを貫き、現代の私たちにも本気で生きる瞬間を体感させる、衝撃のドキュメンタリー。
三島との討論の中心になっていた芥氏が、「事物のないところじゃ、自分をどう存在証明するのだ」らしいことを言っている。 安田講堂へ閉じこもる。 それは、討論が終わったから言ったことではないと思うんです。
25それからずいぶん経って、日本未公開のポール・シュレイダーの『ミシマ』を観た。
そして、それには陸自の一部が呼応する(と三島は信じていた)。 言葉を尽くしての討論には嘘もなければ諂いもなく、討論しながら次第にお互いを分かり合うという、一種の清々しささえあります。 もしかしたら、学生側はそこを突破口に、三島を論破できたかもしれない。
9映画の中で言えば、確かに机がある。
そのことに途中で気がついた。
できればそのカンパの半分をもらっていって、わたくしがやっている『楯の会』の資金に取っておきたい」とウイットに富んだ発言も。