あとは、いつか自分たちの家が欲しいですね。 「子どもだけでなく、大人にも伝わるように意識して曲を作っているんですか」と聞くと、こう答えてくれました。
「『どんないろがすき』は娘が一番喜んでいたね」。
そうすると、ほかの子どもたちも自分の好きな色を坂田さんに伝えてくれました。 杉田氏は昨年6月に執行猶予が明けた翌日に長野ダルクを出た。 20年8月の舞台『メイビー、ハッピーエンディング』では、とのダブルキャストで、ヒロイン役を務めた。
14それでこういうふうに言ってくれた」と振り返ります。
でも、ありがたいことに、こんなに長くお仕事をさせていただいていて、連休はお正月くらいしか取ってないくらい働いていたので、こんなに全部がなくなった時はショックでした。
当初、NHKに関わり始めたのは「お兄さん」としてではなく、提供した曲の作詞・作曲という立場でした。
19今は前を向いて歩いているので、皆さんは味方だと思っています」と話した。
「お母さんにメダルあげますっていうことをまず考えた一方で、あんまりふだん日の目をみない物も、歌詞に入れたかった」 実際の歌詞には「お弁当箱さん」だけでなく、「レールさん」も登場します。 午後は休憩をはさんでスポーツ系の仕事をしたり、ネタを考えて夕方に動画を撮影したりして、夕食の後、動画を投稿するという毎日でした。 未来にこの配信を見てくれた子どもたちがふと懐かしいなって思える家族との思い出になればいいな。
20当初、NHKに関わり始めたのは「お兄さん」としてではなく、提供した曲の作詞・作曲という立場でした。
400人がおそろいのTシャツを作って、それをみんなで着て、リモートストレッチをやったこともあります。 子どもたちは、一緒に参加する親御さんの表情をすごく見ていると思うので。 実際に曲で発表したのは「ずいぶん経った後」でしたが、その一瞬で歌のイメージは出来たといいます。
23全力で楽しんで笑顔いっぱいの時間ができたらいいな」と思いをめぐらせた。
(ANNニュース). 最初は、東京オリンピック&パラリンピックがある予定の年だったから、元気な応援歌にするつもりでしたが、歌詞を変えて、「離ればなれ 遠くにいても いつも君のそばにいる」など、コロナ禍でしか見つからなかった気持ちを入れました。 「離れていても距離が関係ないような楽しみ方を皆さんが見つけてくれたのもうれしくて、ものすごく人生観の角度が変わる経験でした。
7おかあさんといっしょで まさかの子供なし。
杉田氏は判決後に都内の自宅を引き払い、長野県上田市の更生施設、長野ダルクで執行猶予が明けるまで寮生活を送って、薬物依存症からの回復プログラムを受けた。
子どもの頃の自分を娘にオーバーラップさせて気づいたとも言えます」 だから大人が感動するというのは「結果」なのだそう。