これは、人々の意志や決定を否定することではない。 なぜならそれは規律・訓練の最も強度な状態におけ る形態であり、人間の行動に関する強制権中心のすべての技術論が集約される見本であるのだから。 さまざまな形象の表面(うわべ)の陰で、われわれの身体は深部において攻囲されている。
10さて、こうした「非行性」の言説、その近くの枠組みを人々に押し付けるために、新聞記事がその道具の一つとなる。
「人間」の研究に基づく「身体のテクノロジー」により最適にプログラミングされたプロセスを通じ、人々の心身を社会の「」に適合するように作り替えることがその本質である。 それは、違法行為の管理によって、人々に規範、規格化の基準、逸脱の臨界点を示すこと、さらに社会体にとって生産的で役に立つ人間を、より役立たせ、そうでない者を、社会の周縁部分(施設への収容という意味でも、釈放後の周縁部への追放という意味でも)で無力化し排除すること。
27だが、以下で全体を検討するのだから、この章の紹介は省略する。
生活史や素質、社会的位置や教育といったものとの間で因果関係が定められるだろうし、それは刑罰という点ではそれに応じた処罰=矯正の裁定を可能にする。
「孤立化とともに労働は、〔受刑者の〕監禁本位の変容の一つの動因として定義されるわけである」(p272)(つまり、刑法改革者が述べた、一般大衆への見せしめや社会への有益な償いという意味の労働ではない)。
4あなたの関心のある箇所から、ぜひ読み進めてください。
」 p. 征韓論に端を発した西南戦争は国事犯を生み、明治10年代から増え続けた囚人は明治18年には8万9千人と過去最高の収容者数となり、全国的に監獄は過剰拘禁となりました。
2「それは規格化の視線であり、資格付与と分類と処罰を可能にする監視である」(p213)。
最近一世紀以上ものあいだ、われわれ《人類》が夢中になっているこの人間諸科学はその技術的母体を、規律・訓練およびその探査の、些事にこだわる陰険な精密さの中にもっている」(p259)(ちなみにフーコーは続けて「権力が違えば知も違ってくるのだ」とも述べている)。 244 「監禁装置は次の三つの大きな図式を援用したわけだった。
24165) 「規律・訓練はもはや単に、さまざまの身体を配分し、そこから時間を抽出し累積する技術にと どまるのではなく、さまざまの力を組立てて有用な仕組を獲得する技術となった」(p. 例えば「逸脱」という現象を社会心理学はどのように捉えるのか。
それゆえ、中央の塔のなかに監視人を一名配置して、各独房内には狂人なり病者なり受刑者なり労働者なり生徒なりをひとりずつ閉じ込めるだけで充分である。